星野富弘 メモリアルコンサート
星野富弘 詩画作品の世界を 朗読 音楽と共に
Colors of Tomihiro Hoshino
ご来場いただきまして、ありがとうございました!
出演:
Migiwa、神山 みさ、竹下 静、Samuell Soung、
Rainbow Music Japan、大宮 香織、TAKEO、
NOBU(鬼無 宣寿) with ARTOS、服部 佐知子 カルテット
朗読:渡辺 祥子
主催:富弘美術館を囲む会 東京神奈川支部
協力:ウィズダムサウンド 株式会社 偕成社 グロリア・アーツ株式会社
富弘美術館
後援:関東学院大学
星野富弘さんとコンサートへの想い
Migiwa
まさかこんなに早く、と耳を疑いました。
今年の4/28、NHKや各ニュースから富弘さんが召されたことが伝えられ、悲しみと共に、胸に溢れたのは感謝でした。
その生き方、そして残された多くの詩画によって、富弘さんは神様の栄光を表す人生を全うされたことに胸が熱くなりました。
子どもの頃クリスマスになると、母は富弘さんのカレンダーを大量に購入し、友人、ご近所にメッセージを添えせっせと配っていました。我が家にも常に飾られていた富弘さんの詩画を、子どもながらに何度も繰り返し読んでいました。
そのうち姉が富弘さんの出版会社グロリアアーツに入社し、ますます富弘さんの作品は身近なものとなりました。
音楽の働きを始め、富弘さんの詩画に曲をつけてみてはという提案をいただきました。私のようなものが歌うのには申し訳ないような思いがありましたが、「背中」と「木の葉」に2曲を作らせていただきました。
初めて富弘さんとお会いしたときは、緊張でほとんど話せませんでした。でもとても温かい雰囲気に、ずっとそばで接していたい人格だと感じました。
それから美術館、展示会、被災地などでのコンサートをするたびに富弘ソングを歌わせていただき、気づけば私の音楽活動の歩みは富弘ソングと共にありました。
コンサートで会場が硬い雰囲気の時でも、富弘さんのエピソードMCと歌は、いつもお客さまを柔らかく、笑顔にしてくれました。
コロナ禍になり、以前のようにコンサートができなくなってから4年。
富弘さんの訃報を受け、以前何度も一緒に共演したアーティスト、スタッフのみなさんと再会するきっかけを、今回富弘さんが与えてくれました。
「富弘メモリアルコンサート」は、皆と再会を喜び、励まし合い、賛美し、主の素晴らしさを味わう最高の時でした。歌わせていただいた者として、影で多くの方がこのために準備、祈り、奉仕をしてくださり、感謝でいっぱいです。
私は心新たに、富弘さんの残された思いを、これからも大切に大切に歌い継いでいきます。
富弘さん、本当にありがとうございました。
Samuell Soung
先日、9月28日(土)に開催された「星野富弘メモリアルコンサート」は、感動に満ち、祝福あふれるひとときでした。星野富弘さんが残された数々の詩画や、彼が歩まれた人生に思いを馳せながら、私自身も主に対する深い感謝の気持ちで満たされる時間を過ごしました。
これまでに二度、星野富弘さんにお会いする機会があり、どちらの場面でも彼の前で歌を披露させていただきました。また、富弘さんの詩に私が曲をつけたものをお聴きいただくという、貴重な経験をさせていただきました。とても緊張しましたが、富弘さんはとても温かく、優しい眼差しで包んでくださいました。
今回のコンサートでは、富弘さんの詩「生きている」をゴスペル風にアレンジした楽曲「Feel Alive」を披露させていただきました。会場の皆さんも手拍子をしてくださり、"生かされている"喜びと感謝の思いを胸に、自由に楽しく歌うことができました。
私の出演はコンサートの終盤の方でしたが、クリスチャンアーティストの仲間たちそれぞれの曲と歌声に深く心を打たれました。このコンサートを主催してくださった富弘美術館を囲む会 東京・神奈川支部の皆さん、グロリアアーツ、富弘美術館、音響・照明チームの皆さん、ウィズダムサウンドの大嶋さん、そして素晴らしい会場を提供してくださった関東学院の皆様に、心より感謝申し上げます。
この日、会場に集まった皆さんとともに、素晴らしい時間を共有できたことを、主に深く感謝しています。
NOBU(鬼無 宣寿)
星野富弘メモリアルコンサートにお越しいただきありがとうございました。
今回私は、「どくだみ」という詩に曲をつけARTOSのなおちゃんとえみちゃんと演奏させていただきました。
どぐだみという草は匂いがくさく、人から嫌われます。でも自分が摘み取られ、熱湯で茹でられると人にとって益となる薬になるとか。
神さまがそんな「どくだみ」という草花を創造されたことは、とても興味深いものです。
富弘さんの『どくだみ』という詩を読んでいますと、「自分の匂いはどうなのだろう?罪の匂いで臭すぎやしないか」と、がっかりしてしまいます。でもどくだみの花は、白い十字架の花なのですね。私も富弘さんの詩のように、大切にその花を摘みたいものだと、じっくり深く考えさせられました。
スピードが重宝される時代にあって、富弘さんの詩は真逆です。
一筆ひとふで、口で描くその絵にかけた時間
花を見つめる時間
そこから込み上げた詩を想う時間
私も曲や詩を書くときに、たっぷり時間をかけ魂を込めたいと思わされました。
またコンサート最後に演奏した讃美歌「いつくしみ深き」では、急遽舞台監督の話をご紹介させていただきました。
当日のリハーサル後、舞台監督の方が涙ながらにこう言うのです。
「実は私は夢を見たんだ。その夢には富弘さんがいた。しかも立っていたんだ。それを思いながらリハーサルを見ていると泣けてきた。」
私は信じます。
コンサートの時、地上にいる私たちだけでなく、天では富弘さんが立ち上がり“オーオーオー"と歌ってくださっていたと。
渡辺 祥子
「存在がゆるされる」ということ
これは、富弘美術館の季刊誌(2016年春号)にエッセイを寄稿させて頂いた際のタイトルであり、富弘さんの作品に触れた時の、私の実感です。
富弘さんの作品をはじめて舞台で朗読したのは今から16年前、富弘美術館と同じみどり市内にある「ながめ余興場」(大間々町)でのコンサートでした。そこから富弘さんや富弘美術館との縁がつながっていったのですが、その時のことは今でもはっきりと覚えています。舞台で富弘さんの言葉を声にのせた瞬間、心にやわらかな風が吹き込み、「そのままでいいんだよ」「そのまま、ただ誠実に進めばいいんだよ」と言われたような、そんな感覚に包まれました。
実はこの印象は、はじめて富弘さんにお会いした時も同じでした。富弘さんが放つ透明のオーラ(決してきらびやかではなく、強い光でもない)のようなものがその場を包み、そこに、全ての人をゆるし受けいれるような、自由の場がひらけたような思いがしたものでした。
富弘さんの作品の大きな力はここにあるのではないでしょうか。作品を前にしている人がゆるされる場、一切の制約のない自由な空間がそこにひらかれる…。私たちを、日常のキュウキュウとした世界の外部に連れ出してくれる。だからこそ、多くの人が、その詩画や随筆を目にしては、自然に涙を流し、自分でも気づかなかった、自分をがんじがらめにしていたワクを外すことができるのだと思います。
朗読を生業にしている私は、いかにそうしたひらかれた場(空間)をそのまま聴き手に届けることができるかを、常に問い続けなければなりません。そしてそれが、富弘さんへの感謝の表現であると思い、これからも富弘さんの言葉を声に乗せて届け続けていきたいと思います。
佐々木 潤(Rainbow Music Japan)
Colors of Tomihiroは、若いクリスチャンアーティストたちが、思い思いに富弘さんの詩画に曲をつけ、彼を知らない若い世代にもその魅力を届けたいという願いから始まりました。
私自身、以前からカレンダーなどで富弘さんの詩画に親しんでいましたが、美術館を訪れ、5分間ストーリーのピアノを担当させていただき、ご本人にお会いする機会を得たことで、その作品の奥深さに改めて気づかされました。そして、この素晴らしさをもっと多くの人に伝えたいと強く感じた一人です。
このプロジェクトでは、姉とのユニットRainbow Music Japanとして、「ニセアカシア」と、最後に全員で歌う「春蘭」に曲をつけさせていただきました。「ニセアカシア」の中の「何のために生きているのだろう。何を喜びとしたら良いだろう。」という言葉は、戦争や災害、さまざまな苦しみの中で生きる私たちにも深く響いてきます。富弘さんの詩画の中で私が最も好きな「春蘭」は、「どんな時も神様に愛されている」という希望に満ちた言葉で、歌うたびに励ましを受け、生きる勇気と元気をもらえる気がします。
一人の人生における一瞬の悲劇が、時を経て多くの人の祝福となったとしても、あの日がなかったら…と悔やむ気持ちや、本人が経験した苦しみを私は到底理解することはできません。それでも、富弘さんの苦しみから生み出された作品がこれほど多くの人の心を動かしている現実は、神様が人知を超えて働き、一人ひとりの人生にかけがえのない意味と目的を与えているという、否定できない事実だと思います。富弘さんが天国に旅立たれたとしても、私たちアーティストは富弘さんの詩画を歌い続けていきたいと願っています。
最後に、STYLE JUNのCD付写真集を出版した際、富弘さんに帯の推薦文を書いていただきました。今でも、それは私の人生において最も大切な宝物です。
TAKEO
今回のコンサートで、あらためて、日本の宣教史の中で神様が紡ぎ合わされたかけがえのない大きな出会い、星野富弘さんと大嶋清さん(全国で開かれた花の詩画展に同行し、富弘美術館を囲む会を支え、富弘カレンダー・絵はがきを作ってきた方)との出会いに、思いを馳せました。
このお二人の出会いがなかったならば、このように富弘さんの詩画を通して世界中で福音の香りが放たれることはなかったのかもしれません。その出会いがなければ、多くの詩画作品を通して、生きる勇気と希望、慰めを受けることができなかった方々、福音に触れることの出来なかった方々がおられたのかもしれないと思いました。また、その素晴らしい詩画が、詩画ハガキやカレンダーとして世界中の人々の手に届く形として実現されていく、その背景には、清さんの情熱と使命があったからこそ、、主がその器として用いてくださったのだと感じざるを得ません。お二人の存在の大きさを思いつつ、そしてお二人を支えられたご家族や関係者の皆様に心から感謝致します。
神様のご計画は計り知れません。富弘さん、そして清さんが、その使命を果たされて主の御側に召されていかれ、まだ数カ月のこの日。追悼のコンサートのために私たちが呼び集められて、もう一度共に、富弘さんが主に導かれて生み出された詩画を通して、一人一人が賛美の歌として歌わせて頂いたコンサート。参加させて頂き、今一度、富弘さん、清さん、ありがとうございましたという思いで溢れました。多くのスタッフ、アーティスト、聴衆が同じ方向「天」を、いつも富弘さんが目を向けていた場所を感じて、分かち合うことの出来た素晴らしい恵みの時に、心から感謝しています。
英知さんにも心から感謝致しております。このコンサートのための全ての労に、主が豊かに報いてくださいますように。
感謝!
大宮 香織
「悲しみの意味」
冬があり 夏があり
昼と夜があり
晴れた日と 雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも 苦しみもあって
私が私になってゆく
東日本大震災を当時住んでいた地元仙台で経験し、その後この作品に再び出会い、その時の私の心の中にストンと落ちてきて、理由なく納得させられたことばです。
私の心にやさしく寄り添ってくれて、癒しとなってくれた作品の中から、ひとつ、またひとつと、自然とメロディーが生まれてきました。
これまで富弘さんの作品とことばにどれだけ慰められ、生きる力を与えられ、気づかされ、心揺さぶられたことでしょう。
歌を生業としていた私にとって、震災後は、その歌や音楽は、何の役にも立たない、という思いでした。しかし、賛美歌によって慰められ、励まされてまた、歌う力が与えられました。
富弘さんも、震災後は何も描く気になれなかった、と本の中に綴っておられました。しかし、津波の来た所に咲いている花を見て、その花から力をもらい、また描こうという思いになったと書いてあり、あぁ、同じだなぁ、とうれしくなりました。
初めてお会いしたのは2013年10月、仙台の詩画展での講演会でした。まさかご本人にお会いしてご本人の前で歌うなんて、夢のような貴重な機会をいただきました。小さな頃からカレンダーで親しんできた富弘さん。憧れの人に会うことができたこと、また、富弘さんのお宅でのホームコンサートや富弘美術館でのコンサートの際、何度かお会いすることができ、その大切なかけがえのない時間をともにできたことに、心から感謝しています。
その後富弘美術館でのコンサートの様子がNHKニュースに取り上げられられ、「悲しみの意味」が流れたことはとても大切な思い出です。
生きていれば、悲しみや苦しみはあるのは当然です。でも、特にその大きな痛みと苦しみを通ってこられた富弘さんから出てくることばには、重みと深みとやさしさがあります。
震災後も、私も、私なりの痛みや苦しみ、悲しみをいくつも通ってきました。
そして、この"Colors of Tomihiro Hoshino"のメンバーも、それぞれの痛みや悲しみを通り、再び9年ぶりに集められました。9年分の悲しみ、苦しみが、あのような色とりどりの花となって咲きました。
みんなで天国を仰ぎ見て、富弘さんがいる天国に想いを馳せ、希望を新たにすることのできた素晴らしい日でした。
富弘さんが亡くなったあとも、次々と曲ができています。
生きているうちにもう一度富弘さんにお会いして、新しい曲も聴いていただきたかったという思いもありますが、天国に行って再会した時にきっと聴いていただけることを期待して、天国への希望を持って残りの地上での生活を送っていきたいと思います。
そして、富弘さんの言葉が、私の生きる力、勇気、慰め、励ましとなってくれたように、私も誰かの励ましや慰めや力となれるよう、ひとつ一つの作品を、大切に歌い継いでいきたいと思います。
竹下 静
牧師家庭に育った私。クリスチャンでもある星野富弘さんの詩画は我が家にも飾られていたので幼少の頃から目にしていたのですが、とても口にくわえた筆で書いたとは思えない精密さかつ味のある絵画、ユニークかつどこか整然としている文字に、子供心にすごいなぁと感動していました。
少し大人になると、その視線からしか描くことができない世界観、詩に表されるひたむきに神さまを信頼する心、そして時にはぼやき?に慰めと励まし、共感を覚えたものです。
富弘さんとお会いしてちゃんとお話ができたのはたった一度きりでした。少し気難しい面もある方だという噂を聞いて緊張していたのですが、とても気さくに話しかけてくださいました。
私が最初に曲をつけさせていただいた富弘さんの作品は「まむし草の実」でしたが、この詩の解釈で仲間と意見が分かれたことをお話ししたら、「解釈は人それぞれ。受け取った人が思った通りの解釈で良いんだよ。」と優しく話してくださったことを印象深く覚えています。
そんな富弘さんの思い出をみんなで分かち合う場として、そして富弘さんの遺された想いを受け継いで行く場として、このメモリアルコンサートが不思議な導きにより企画され参加することが決まった時、このコンサートのために新たに1曲制作しようという思いが与えられました。でも実は、正直自信がありませんでした。詩を選び、祈りつつメロディをつけてみるのですが、どれもわざとらしく感じてしまい案の定なかなか納得の行くものにはなりませんでした。
そんな時、富弘さんが生涯最後に制作された作品「生かされて~ツワブキ~」をプロデューサーの大嶋さんにご紹介いただき、これにメロディを付けてみることにしました。すると、これまであんなに苦労していたのに、この曲の最初のアイデアはものの数分で完成したのです。
富弘さんの詩画を通して、神さまが与えてくださったメロディ。これを曲として完成させかつもっともっとステキなものにするために、今回初めてバイオリンのアレンジにも取り組んでみましたが、素晴らしいバイオリニストとパーカッショニストのお2人のおかげで、自分の思い描いていた以上の素晴らしい作品に昇華させることができ、感謝でいっぱいです。
「ツワブキ」は、10~12月頃に開花する植物で、四季の最後を飾る花と言われているそうです。
富弘さんが生き抜かれたその生涯の最後を飾ったこの詩画を歌わせていただけたことに感謝すると共に、この詩画を通して富弘さんが伝えたかったことを、私も生涯を通して届けていきたいと思いを新たにしています。
神山 みさ
富弘さんにお会いするチャンスは何度かあったにも関わらず、そのチャンスを得たのは結局1度だけでした。
子供の頃からカレンダーで毎年楽しみにしていた富弘さんの作品。
大好きな詩画がいくつもあったし、実際にお会いできた時は緊張しましたが、それを上回る嬉しさでいっぱいでした。
富弘さんの詩を歌ってみると、その意味深さをより知ることができました。
横になっていることが多かったであろう富弘さん。普通の人よりも不自由で、少し低い位置から見ていた世界、その人生。
当たり前に立ったり座ったりできる私たちには気づけない、見えない、とてもとても深い世界をその詩を通して見せてくれます。
富弘さんは天に凱旋されたけれど、遺された詩画たちは今も生き生きと、この美しい世界、愛の世界を語り続ける。
わたしもこれからも続けて、その詩にメロディをつけさせてもらいながら、天国の富弘さんとコラボレーションしつづけていけたらと願っています。
服部 佐知子
「私は星野富弘さんとお会いする機会はありませんでしたが、本などを読ませていただき、まず事故当時、どんなに想像を絶する絶望感であったのかと思いを巡らせました。
人は同じ経験をしなければ到底、同じ感情にはなれませんが、できるかぎり想像してみました。ましてや体育を専門にしていらして、身体を動かすことが、一般の人よりもお好きだったはずなのに、身体がまったく動かなくなるなんて...
富弘さんの詩画を見ると、とても温かく、説得力があり、慰められ、共感を覚えます。
私達は常に世の中に遅れを取らないよう「あれをしなきゃ、ここに行かなきゃ」とせわしなく動いています。ゆえに大切な事を忘れやすいですが、星野さんは誰よりもイエスキリストを手足として共に歩まれていたのだと、詩画をみて感じます。
このような素晴らしい企画に携わらせていただく事ができ、光栄です。歌手の皆さまや朗読、ピアノ弦楽四重奏、スタッフの皆さん全員が1つになった、とても素晴らしいコンサートだったと余韻に浸りつつ..
星野さんもコンサートを天から見られていたかな?と嬉しそうな笑顔が思い浮かびます」